WordsofGold’s blog

「アートとは何か?自分の内側にある美を探すこと。それこそがアートだ。」「私は自身を大きく開いていく必要がある。自分自身を見つけ、人間とは何かを思い出すため、人間の美しさを、あなたの美しさを思い出すために。私は人間がどれほど美しいかを見せる必要がある。まさに今。」アレハンドロ・ホドロフスキー

1月7日 こおうするおと

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 1月7日、京都Live House nano 〝こおうするおと〟にお越しいただいた皆様、また当日を気にかけてくださった皆様、本当にありがとうございました。

 おかげさまで、大勢の方々とともに、中村佳穂と村島洋一の音楽を楽しみ、2017年の新年会を賑やかに行うことができました。

 初めての方、久しぶりの方、いつものメンバー。みんながnanoに集う一夜は、人と音への愛に溢れた時間でした。それもすべて、中村佳穂と村島洋一、そして何より当日あの場で音楽を全身で感じて、それを表現していた皆様のおかげです。

 重ねて御礼申し上げます。

 

 あの夜が生まれた経緯を少しお話ししますと、2016年5月に村島洋一が東京青山 月見ル君想フでライブをした夜に遡ります。

 ライブがはねて関係者一同で打ち上げをしていたところ、話の流れで「村島洋一と中村佳穂のツーマンライブが見たい!」という話になり、酒の勢いも手伝って、その場でぼくがnanoの店長であるモグラさんに電話をかけたのでした。

 モグラさんとぼくは大学時代、同じ軽音サークルで一緒にバンドをやったこともある、旧知の仲です。彼は熱いハートと音楽への深い愛を持つ男です。 彼がいなければ、1月7日の夜は生まれませんでした。

 同じくその場で中村佳穂にも電話をかけ、出演を快諾してもらい、トントン拍子でツーマンが決定しました。嘘のようなホントの話ですが、たぶん15分くらいで決まったと思います。

 その後、細部の日程調整は箱とアーティスト二人にお任せして、ぼくは当日が来るのを楽しみに待っていました。

 

 ところがある日、村島洋一が言うわけです。あんたオーガナイザーでしょうと。ライブの告知開始日を箱と相談して決めたり、一緒に夜を作る側の人間として、ちゃんとやってくれと。

 お恥ずかしい話ですが、ぼくは音楽業界人でもなんでもない、まったくの素人でして、あとは箱とアーティストとの間でいろいろ決まっていくだろうと、のんきに思っていたのでした。だから、 どうやら自分がオーガナイザーらしいのだと知って、うかつにも驚きました。

  まあ確かに言い出しっぺはぼくなのですが、でも、オーガナイザーて。

 

 というわけで、 それからはぼくもオーガナイザーとしてバッチリ仕切っていったぜ、ということはまったくなく、基本的にはnanoにお任せして、コトが進んでいったのですが、ぼくの中では「こりゃあ、ただの客じゃいられないみたいだな」という自覚が湧いてきまして、村島の言う「一緒に夜を作る」ということの意味を自分なりに考え始めました。

 そうしてたどり着いた結論が、ぼくは音楽家ではないのでステージに立つわけではありませんが、作る側、やる側、届ける側に立とうということでした。

 その一環として、村島と一緒に前日スタジオにも入りましたし、かっこいい言い方をしますと、当日起こることのすべてにぼくも責任を持とうと、ある種覚悟を決めたのでした。

 

 そうして迎えた1月7日の夜。

 中村佳穂と村島洋一、それぞれ1時間とゆったりした尺で、それぞれの音楽を十分に展開したのは、お越しになった皆さんの感じられたとおりです。

 一晩で3組、4組と出演者がいるイベントだと、ゆっくり音世界を深めていく時間が足りなかったり、結論を急いだステージになったりすることがありますが、1時間という持ち時間であれば、お客さんと一緒に出発して、高みに、または深みに到達し、最後にちゃんと着地する十分な余裕が生まれます。

 そうした十分な時間をアーティストとお客さんが共有することで、新しく生まれていくものがある。

 何よりぼくが驚いたのは、あの夜集まってくださった皆さん一人ひとりが、それぞれのスタイルや感じ方で二人の音楽と向き合い、一緒に音楽を作り出していったということでした。

 世界一小さいライブハウス、とも呼ばれるnanoは、決して大きな箱ではありません。それゆえ、お客さんとアーティストの距離がとても近いし、それは物理的な距離だけでなく、心と心の距離もすごく近い箱なんです。

 お客さんの集中力、お客さんの気持ちが、nanoのステージに立つアーティストには肌に触れるように感じられます。

 あの夜は、まさにそうでした。中村さんの音楽に心を委ね、リラックスした皆さんの笑顔と雰囲気が、村島の音楽の新たな一面を開き、アーティストとお客さんとの間に、あの夜新しい音楽が生まれたのだと、ぼくは思います。

 あれは紛れもなく、中村さんと村島の、ぼくの、あなたの、あの場に居合わせた人たちの創り上げた音楽です。

 お客さんの一人ひとりもアーティストなのだ、アーティストを応援したり楽しんだりするだけではなく、ステージに立つ人と一緒に音楽を創り上げるアーティストなのだ。

 そう実感したことが、ぼくには一番印象深いです。

 アーティストと、箱と、お客さんが一緒に作る夜、それはイベントではなく、パーティーとぼくは呼びたい。

 こおうするおとをパーティーにしてくださった皆さん一人ひとりに、ありがとうと言いたい。

 

 また、みなさんと一緒に夜を作ることがあるかもしれません。

 その時はまたパーティーしましょうね。

 ありがとうございました。 

 

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音楽について語るときにぼくの語ること -中村佳穂と村島洋一について-

 音楽について語ることには、いつも独特の困難さがあります。それは音楽そのものが最も雄弁に、正確に、自身を語るからです。その事実を前にすると、いつもぼくは口ごもってしまいます。

 とはいえ、それでもなお音楽にまつわる何事かを語ることには意味があると、ぼくは思っています。

 

 90年代のJ-POP全盛期には、人並みにヒットチャートの音楽を聴いていたぼくですが、00年代に入ってからは、まったく日本のロックやポップスを聴かなくなってしまいました。それは自分の知見が広がり、もっと好きな音楽ができたということもありますが、いわゆるメジャーと呼ばれる日本のポップ・ミュージックに、自分が聴きたい音楽を見つけることができなくなったからです。

 もちろん、素晴らしい音楽を奏でるアーティストもたくさんいたのでしょう。でも、ぼくは日本のミュージックシーンを深く掘り下げる時間とエネルギーを、もっと自分の好きな音楽に向けたいと思っていたし、そうして実際日本のミュージックシーンには背を向けていたのでした。

 

 そんなぼくを改めて日本の音楽に目を向けさせてくれたのが、Youtubeで見かけた一人のシンガーソングライターの動画でした。

 

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 京都から来ました中村佳穂です、と紹介してアップライトのピアノを弾き始める彼女は、まるでシナプスを駆ける細かな電気のきらめきをそのまま、ピアノを弾いているようでした。深い情感を含んだ伸びやかで力強い声と、ポップでありながらフォーキーで独特のファンクネスがある楽曲。どれも既存の日本のミュージックシーンには収まりきれない力を持っています。

 彼女の表現が最も発揮されるのはソロピアノでの弾き語りだと思いますが、バンド形式でも、より強力なグルーヴを巻き起こしながら、中村佳穂の音楽は観客と一緒にどこまでも高みへ上ってゆきます。

 

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 一目で魅了されたぼくは、それから何度も中村佳穂のライブを観に、ライブハウスへ足を運ぶようになりました。

 そうして、いわゆるインディーズと呼ばれるカテゴリーに属する、メジャーなレコード会社と契約を結んでいないアーティストたちのライブを数多く見るうちに、あることに気づきました。

 それは、現代の日本のミュージックシーンの豊かさを支えている土壌は、毎晩毎夜、日本のどこかの街で、ぼくの街で、あなたの街で奏でられる音楽と音楽家、そして何よりライブハウスに足を運ぶ人々にあるのだ、ということです。

 メジャーな音楽を商業主義だといって蔑むつもりはまったくないし、ライブハウスに出演するインディーズのアーティストやバンドたちだって、正直に言って玉石混交で、聞くに耐えないと思う人に出くわすことも時々あります。

 それでも、ライブハウスを主戦場とするインディーズの音楽家たちは商業的要請から自由であり、自分たちがやりたい音楽をそのままに表現することができます。システムと効率性ばかりが重視される今の日本では、音楽業界ですらその潮流から無関係でいられません。そうした日本の音楽シーンにおいて、インディーズのアーティストたちは、メジャーのライブのようにショーアップされているわけではありませんが、音楽の多様性と実験性を体現しながら、今その場限りの音楽を奏で続けているのです。

 

 中村佳穂と出会ってからというもの、ぼくは多くの若き音楽家たちと知り合うことになりましたが、その中の一人に村島洋一という男がいます。彼もまた京都を中心に活動を続けています。

 

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 音楽においてフィジカルな要素というのはとても大切なことで、音楽家の演奏技術やリズム感、グルーヴ感と、音楽は密接に結びついています。そして何より、ボーカリストにとって声ほど重要なものはありません。

 恵まれた歌声というものは、ただ上手いという以上に、歌声そのものが独立した音楽として成立します。村島洋一は、その稀有な恩寵に恵まれている一人です。何のエフェクトも加工もされていない彼の声そのものが、一個の音楽としてぼくたちの心を揺さぶるのを体験するたびに、ぼくは人間の声の持つ力の不思議を考えてしまいます。

 村島洋一は以前サモナイタチというバンドでギターを弾いていましたが、高度なテクニックをこれ見よがしに披露するタイプではありません。ただそのストローク一つで会場の空気を震わせ、聴く人の心をここではないどこかへと連れていく。ぼくはギターを弾けませんが、なぜただのコードストロークがこれほど心に響くのか、今でもそのマジックの秘密がわかりません。

 

 こうした二人がともに京都を中心に活動しているということは、単なる偶然ではないでしょう。京都は昔から音楽が盛んな街ですが、それはこの街特有の様々な要素が下敷きになっていると思います。

    京都は伝統を重んじる観光都市ですが、同時に学生の街でもあって、市内にある多くの大学に毎年若い人たちがやってきます。大学を卒業する学生たちは京都に留まる人もいますが、多くはこの街を出て行きます。こうして、毎年京都にやってきては卒業して出て行く若者たちの新陳代謝によって、街の空気は停滞することがないのです。

 さらに、京都はいい意味で田舎です。地方都市の規模としてもそう大きな街ではないし、四条や三条の繁華街を少し離れれば 、昔と変わらないのんびりとした空気と時間が流れています。なんというか、街に隙間がある。この隙間が、音楽がのびのびと呼吸ができる風土になっているのです。東京はシステムでがんじがらめで、金のこと、成功することをいつも強いられるような街ですが、京都にはそのようなシステムのプレッシャーはありません。若き音楽家たちがじっくりと音楽に向き合い、自身の内なる声に耳をすますにはうってつけの場所でしょう。

  このような場所から、若き音楽家たちが数多出てくるのは、必然の結果だろうと思うのです。

 

 中村佳穂と村島洋一、この二人の音楽家の演奏に共通するのは、常に新しい音楽表現の萌芽を探し続けているということです。

 二人とも、一度出来上がった楽曲をそのまま演奏することはほとんどありません。リハーサルで演奏の作り込みやフィーリングの確認をすることはあっても、それをそのままステージに持ち込むことはしない。なぜなら、二人とも音楽は生き物であり、毎秒瞬間、呼吸をしているということを知っているからです。

 どう演奏するか、という意識を越えて、今奏でている音に心を沿わせ、感情を託し、遂には演奏者と音とが一つになっていく。そこにあるのは音楽家の開かれた感性と、音楽に対する誠実な魂なのだと思います。


    そうした二人の共演が新年早々見られるというのは、音楽ファンにとって嬉しいニュースではないでしょうか。これから音楽とともに生きていく二人の現在地を、間近に体感できるこの機会に、ぜひ多くの人に足をお運びいただければと思います。


    2017年1月7日(土)    京都Live House nano

    “こおうするおと”  中村佳穂X村島洋一

    Open 18:30    Start  19:00  前売 2,000円+別途ワンドリンク

    http://livehouse-nano.com/


    会場のLive House nanoは、若き音楽家たちの活躍の場として、京都の音楽シーンの中核を担ってきたライブハウスです。80人も入れば一杯になる小箱ですが、アットホームで、何より音楽への愛、音楽を楽しむ雰囲気に満ち溢れていて、初めての人でも心地よく楽しめる場所です。


kyoto-antenna.com

 

     ライブハウスに行くのは初めて、という人もいることでしょう。どう予約したらいいかわからない、勝手がわからない、という人も大丈夫。中村佳穂が、ライブハウスでライブを観る要領をわかりやすくまとめてくれています。

 

How to go live | ナノ


    音楽への愛に満ちた場所で、中村佳穂と村島洋一の音楽を、皆さんとともに大いに楽しみ、新しい一年が祝えることを、心より楽しみにしています。ご来場をお待ちしています。